壺井

近津飛鳥 壺井の里

ここが河内源氏発祥の地

くたびれて周囲の写真を取り忘れたが

山と山に囲まれた猫の額のような土地

この山の奥に祖頼信公と義家公の墓がある
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始祖頼信公の墓
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八幡太郎義家公の墓
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山を下った狭い平地に頼義公の墓

寺の本堂の下に葬るようにとの遺言によりここに葬られる

ここは菩提寺通法寺跡
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里を少し歩いて壺井八幡宮へ

ここに「壺井」という井戸が残る
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由緒書きから
「平安時代前九年の役のとき 源頼義の軍が飲料水に苦しんだ折り 弓の先で崖をつき崩して得た冷泉により武士の意気が上がったと言われている
平定完了して凱旋する際冷泉の水を壺に入れて持ち帰り 本拠地の香呂峯の南麓に井戸を掘りそこに冷泉の水を底に入れて苦戦の記念としたもの
これが壺井の地名の起源となった」
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その冷泉を得た地とは それは岩手県らしいのです

それは北上川の源泉
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岩手町公式ウェブサイトより
弓弭の泉伝説
平安時代天喜5年6月、源頼義、義家父子率いる朝廷軍はこの地方の豪族・安倍氏を討つため軍を率い、北へと進軍していましたが打続く炎暑に兵馬とも疲弊し、士気も上がりませんでした。源義家はふと思い立ったように、小高くて周囲が見渡せる山(一説では岩手町水堀の鞍掛山)へ登ると遥か前方に巨大な杉の木を見つけ、お祈りしました。一説によると義家が天に向かい矢を放つと、普通では考えられないくらい矢は飛び、大杉の根元に刺さったともいわれています。
源義家は森の中へと兵を進め、矢の刺さった大杉の根元を手にしていた弓弭(弓のつるをかける先端部分)で突くと、にわかに清水が湧き出てきました。兵馬ともごくごくと清水を飲みついにはみな生き返ったように元気になり、安倍氏を討ち、のちに「前九年の役」と言われる長く続いた戦乱を鎮圧したといわれています。
義家が「弓弭」で掘って湧き出た清水は「弓弭の泉」として人々からあがめられ、今も涸れることなく御堂観音の地に静かに湧き出で、北上川の源として悠久の北上の流れとなっています。

歴史 昔語り ロマンがありますねえ

さて壺井の井戸をあがると壺井八幡宮

河内源氏の氏神です
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この地で感じること

山と山に囲まれた狭い平地 圧迫感あり

ここから出た頼義 義家親子が北上川が潤した広大で肥沃な大地を目にしたとき

そして山からは金が産出される

前九年の役から 後三年の役までことごとく介入してくる

よほど欲しかった大地なんだろうと想像してしまう

そして やがてその子孫の頼朝が京につぐ日本第二の都市 平泉を壊滅させるのだ

ある意味源氏の野望達成

その土地に足をいれないとその思考はでてこない



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